2012/07/09

代官山アドレス

所在地: 日本, 東京都渋谷区代官山町17−1
代官山アドレス

代官山駅直結型の大規模分譲タワーマンション。ザ・タワーをはじめとする集合住宅、代官山らしく洗練されたショッピングゾーン「ディセ」、温水プールなどもある公共施設「渋谷区代官山スポーツプラザ」などから構成される都市型複合施設内に位置するオール電化型マンション。

交通  
東急東横線「代官山駅」 徒歩 1分
日比谷線 「中目黒駅」 徒歩 10分
山手線  「恵比寿駅」 徒歩 10分
構造 SRC
階建て 36階建
所在地 渋谷区代官山町17-1
築年数 2000年08月










代官山アドレス 概要


代官山アドレスは、東京都渋谷区代官山町にある複合施設である。施設はタワーマンション、
商業施設、公共スポーツセンターなどによって構成されており、2000年(平成12年)8月に開業した。


所在地にはかつて存在した旧同潤会アパート36棟などの建替え、再開発によって建設された。
住宅部分は36階建の高層マンション、「ザ・タワー」を中心とする合計501戸があり、そのなかには再開発前からの居住者253世帯も再入居した。


さらに、ショッピングセンター「ディセ」や、渋谷区の公共施設「代官山スポープラザ」、
駐車場などが施設全体を構成している。また、旧同潤会代官山アパート時代より児童公園として存在した「代官山公園」が、代官山駅の駅前広場と一体化する形で再整備された。


再開発においては都市再開発法に基づく組合施行の事業方式が採用され、
公共施設の整備や公開空地の設置などによって容積率の緩和や補助金の助成を得ている。
また、従前からの土地(建物)所有権利者による再開発事業組合「代官山地区市街地再開発組合」に加え、鹿島建設と大成建設がデベロッパーとして事業を行った。


施設の設計は、日本設計とNTTファシリティーズによって行われ、鹿島建設と大成建設を中心とする共同事業体(JV)によって施工された。また、施設ランドスケープの基本計画はロバート・ザイオンが担当してた。敷地面積は17,262m2で、再開発事業では地下に東京電力の変電所も建設された。






ザ・タワー 概要


地下4階地上36階で、代官山アドレスの完成と同時期の2000年(平成12年)8月に竣工した。
総戸数は387戸でその半数近くは地権者用となり、残りの200戸が1999年(平成11年)の夏から分譲された。建物高さは119.9メートルで、渋谷区内のマンションとしては青山パークタワー(美竹町、2003年竣工、頂部の高さ120メートル)と並んで、最高層の建物となっている。
また、代官山地区においては唯一の超高層ビルであり、テレビドラマ『やまとなでしこ』(2000年、フジテレビ)をはじめ、多くのテレビ番組のロケ地となっていることでも知られる。
代官山アドレスに建設されている集合住宅としては他に、「ジ・アネックス」(5階24戸)、「ザ・レジデンス・イースト」(13階42戸)、「ザ・レジデンス・サウス」(10階30戸)、「ザ・レジデンス・ウェスト」(8階18戸)がある。


ディセ 概要


代官山アドレスの中心となっている商業施設であり、20以上の商店や飲食店などが入居している。名称の「ディセ(dixsept)」とは、フランス語で“17”の意味であり、代官山アドレスの住所(代表)が、「渋谷区代官山17番地」であることに因んでいる。「ディセ」の事業主は、この建物を所有する平和不動産(東京・日本橋)である。


渋谷区代官山スポーツプラザ 概要


再開発事業の条件緩和要件として建設された渋谷区の公共施設である。 屋内の温水プール2つ、屋外の幼児プールのほか、卓球やエアロビクスなど各種スポーツのための多目的室などがあり、渋谷区の住民のほか、同区の在勤・在学者に利用資格が与えられている。


地下変電所 概要


代官山アドレスの地下には、再開発事業の一環として東京電力の変電所が建設されている。
この変電所は、渋谷区域を中心とした東京23区南東部に電力を供給する拠点変電所となっている。


代官山アドレス建設までの歴史


再開発前に存在した同潤会代官山アパートは、1923年(大正12年)に発生した関東大震災の救済機関として設立された財団、同潤会によって東京・横浜地区の16ヶ所に建設された「同潤会アパート」のひとつであった。敷地面積は5,976坪で、25%という建蔽率から豊富な緑を持ち、敷地の起伏を生かした傾斜地に2階建てと3階建ての鉄筋コンクリート造りのアパート、公衆浴場、食堂などが配置されていた。


代官山アパートは大正14年、関東大震災によって大破した青山女学院の跡地に着工され、
昭和2年~3年にかけて36棟の建物が竣工した。


各アパートはモダニズム建築を意識した2-3階建ての近代的集合住宅で、全36棟に337戸が設けられ、間取りの中心は2Kであった。震災の教訓から鉄筋コンクリート造が採用され、娯楽室、食堂、水洗トイレ、ダストシュートのほか、自家水道施設や児童公園、公衆浴場なども備えられていた。


建設時には最先端の仕様であった各住宅であったが、平均の占有面積は10坪程度、更には「6畳一間、トイレ共同」という住戸もあったことから、大東亜戦争後には、「狭くて住みにくい」という評価が一般的となった。


昭和28年になるとアパートは住民らに払い下げられ、その後は各居住者による勝手な増改築が目立つようになったという。老朽化が顕著となった代官山アパートでは昭和53年頃から建替えの話が持ち上がり、1983年(昭和58年)には主に居住者らによって構成される再開発準備組合が設立された。


組合は事業協力者としてデベロッパーを募り、当初は6社のゼネコンが参加したものの、
事業の難航やバブル経済の崩壊を受けて撤退が相次いだ。平成4年になると参加を継続するゼネコンは鹿島建設と大成建設の2社のみとなり、再開発事業の断念も検討されたが、この頃東京電力が事業地地下に変電所を建設することを提案、これによって事業の実施が決定した。


実際の工事は1996年(平成8年)8月に始まり、2000年(平成12年)8月に完成した。
事業が難航した一因には、地権者が500名近くと多数であったことがあり、再開発施設の中心としては当初、タワーマンションではなくオフィスビルが検討されていたという。




代官山という街の魅力


最新のライフスタイルが発信される代官山
恵比寿から駒沢通りを目黒方面に向かうと代官山。洒落たカフェやセレクトショップが並ぶ代官山町は恵比寿西の住宅街に隣り合う。古くは同潤会代官山アパートが当時最先端の設備を取り入れたモダンなアパートとして憧れを集め、昭和中期に誕生した東急代官山アドレスは高級賃貸マンションのはしりといわれた。長きにわたり時代のライフスタイルを先行してきたエリアでもある。


魅力1 世界の建築家から注目される都市づくり
日本を代表する建築家である槇文彦氏の代表作であるヒルサイドテラス(写真)、朝倉不動産により1969年から30年をかけて建設された。この住宅、店舗、業務が混在する低層の都市づくりは、多くの建築家の共感を呼び、この地域では建築家が競い合い、日本有数の美しい街となった。


魅力2 新しいファッションの聖地
「代官山」はブランド化し、地域は恵比寿、中目黒にまで広がっている。若い女性の間では、憧れの街ナンバーワンと言われており、台湾・韓国・シンガポールなど、リピーターの多い諸国では、海外にも知られた存在である。


魅力3 グルメの街
味・雰囲気・サービスともトップクラスなのに、値段は、リーズナブルなのが代官山の特徴。
国際的なレストランガイド・ザガットサーベイは、東京で1,486店を紹介しているが、本地域は95店あり、全体の6.7%を占めている。渋谷駅でさえ、49店であり、自信をもってお薦めできるグルメタウンである。

クラッシィハウス高輪

 クラッシィハウス高輪

白金高輪からは魚らん坂、泉岳寺からは伊皿子坂を登った先にある高台の住宅街、高松宮邸隣接の住宅街に立地する低層分譲賃貸マンション。
高輪の住宅街に住まうことにより良好な住環境を手に入れられることでしょう。
高輪の街に映える重厚感のある外観は凛としており風情すら感じさせてくれます。
上質で高品質なマテリアルで設えた落ち着きのある共用部、室内内装。近隣にはスーパーを始め、クリーニング店、コンビニ、商店街が有り買い物便利。居住者のホスピタリティを高めてくれるフロントサービス有。


交通  
都営三田線「白金高輪駅」 徒歩5分
都営浅草線「泉岳寺駅」 徒歩7分
所在地 港区高輪1丁目14−15
構造 RC
階建て 5階建
築年数 2007年8月
設備・条件
ペット相談 デザイナーズ 保証人不要 2人入居可 分譲タイプ 室内洗濯機置場 フローリング バルコニー 24時間換気システム エレベーター 照明器具付き ガスコンロ コンロ2口以上 食器洗い乾燥機 システムキッチン ディスポーザー バス・トイレ別 追い焚き機能 浴室乾燥機 温水洗浄便座 洗面台 エアコン 床暖房 ウォークインクローゼット シューズインクローゼット CSアンテナ BSアンテナ CATV 光ファイバー オートロック モニタ付インターホン 宅配ボックス 24時間セキュリティ 防犯カメラ 24時間有人管理 フロントサービス ごみ出し24時間OK コンシェルジュサービス 浄水器 グリル オーブン オートバス ディンプルキー ダブルロック

~クラッシィハウス高輪の立地コラム~

クラッシィハウス高輪は魚らん坂、伊皿子坂の頂き、さらに高松宮邸に隣接しているという好立地です。
魚らん坂、伊皿子坂、高松宮邸の概要、歴史をお伝えいたします。

魚籃坂
魚籃寺前から大信寺前に下る幅4間・長さ3丈3尺の坂を魚籃坂という。
浄土宗魚籃寺は元和3年(1617)開創の豊前中津円応寺(現大分県中津市)の寺中魚籃院に始まるという。
寛永7年(1630)当地に移転。本尊の魚籃観音は中津から移した像で、右手に魚の入った籃を持ち、左手に天衣を携える唐女の姿をする。

※出典 歴史の足跡

伊皿子坂
伊皿子という地名の由来には諸説がある。「更級日記」の「いいさらう」の語、当地に住み承応2年(1662)に没した明人伊皿子にちなむという説、
南方の如来寺にあった大仏から「おさらぎ」となったとする説、武蔵国に住んだ大仏陸奥守貞直の名字にちなむとする説などがある。
芝田町9丁目と車町の横町から伊皿子町を経て伊皿子台町へ上る坂を伊皿子坂という。長さ約一町余・幅3間。「江戸名所図会」には潮見坂の名で紹介されている。

※出典 歴史の足跡

高松宮邸
1913年(大正2年)7月6日創設。伏見宮系皇族の臣籍降下後に存続した宮家のなかでは、もっとも創設時期が古い。
ただ、有栖川宮の祭祀や資産を継承していることから、宮家としての伝統はさらに遡るとも言える。

歴史
「高松宮」の号は、有栖川宮の旧称であった。有栖川宮の最後の当主威仁親王が、嗣子栽仁王に先立たれたまま1913年に薨去したが、大正天皇の特旨により、
第3皇子宣仁親王が有栖川宮の祭祀を継承した。旧皇室典範では皇族の養子縁組が禁じられていたため、宣仁親王は有栖川宮そのものを相続するのではなく
新たな宮家を創設したうえで、有栖川宮の祭祀や土地などの資産、そして一部の旧臣を継承するという形がとられ、宮号には有栖川宮にゆかりの「高松宮」が与えられた。
宣仁親王は、徳川慶喜の孫娘であり、威仁親王の外孫でもある徳川喜久子と結婚したが、夫妻の間に子はなかった。
1987年(昭和62年)2月3日に宣仁親王、また2004年(平成16年)12月18日には妃喜久子がそれぞれ薨去し、断絶となった。

高松宮邸は始め、東京市麹町区三年町(現在の東京都千代田区永田町、内閣府庁舎付近)にあった有栖川宮邸を引き継いだが、
昭和に入って同建物が外務大臣官邸に転用されることに伴い、港区高輪一丁目にあった高輪御殿に移転した。同地は江戸時代、
大石良雄らの切腹地として知られる肥後細川家の下屋敷跡であり(大石良雄外十六人忠烈の跡を参照)、
大正時代には皇太子であった昭和天皇が一時期東宮御所としていたこともある。戦後、広大な敷地は宣仁親王の意によって縮小され、
払い下げられた場所には港区立高松中学校や都営高輪アパートなどが建てられた。また、残った敷地内にあった本館も、「光輪閣」として改装のうえ一般開放された。
光輪閣はかつて宣仁親王の国際関係特別秘書官であった川添浩史を支配人に迎え、結婚式場などとして貸し出された。またかつては夏になると、
宮邸の庭にあったプールも近隣の子供たちに開放されていた。

光輪閣を出た宣仁親王夫妻は、敷地内に小さな木造平屋の邸宅を建てて居住していたが、
光輪閣が老朽化によって1972年に取り壊されると、翌年、跡地に再び平屋建の宮邸本館を建設し、2004年に宣仁親王妃喜久子が薨去するまで使用した。
現在、宮邸敷地および邸宅は「高輪皇族邸」として無人のまま宮内庁の管理下におかれている。また、かつて払い下げられた土地の一部には高級マンションが建設され、
一室に高松宮妃癌研究基金の本部事務所が入居している。この事務所内には宮邸の居室が再現され、宣仁親王や喜久子妃が愛用した調度品が展示されている。

また高松宮は、有栖川宮から翁島別邸(福島県耶麻郡翁島村他)・葉山別邸(神奈川県三浦郡葉山村)と麻布御用地(東京市麻布区麻布盛岡町他)を引き継いだが、
麻布御用地は間もなく東京市に払い下げられ、有栖川宮記念公園として整備された。翁島別邸も1952年に福島県に払い下げられ、現在は天鏡閣として公開されている。
葉山別邸のみ昭和後期まで継続して保有されたが、宣仁親王の薨去に伴う相続税支払いのため、喜久子によって金融機関へ売却された。跡地には
現在、神奈川県立近代美術館・葉山館が建設されている。他には、1933年に宮ノ下御用邸を取得して宮ノ下別邸として所有していた。
この別邸は1946年に富士屋ホテルへ譲渡、同ホテルの別館「菊華荘」として現存する。

※出典 Wikipedia

2012/07/08

D'グランセ目黒東山

所在地: 日本, 東京都目黒区東山3丁目22−33
D'グランセ目黒東山

大和ハウス工業が分譲する「Dクラディア」シリーズの分譲マンション、その名も「Dクラディア目黒東山」。池尻大橋から中目黒に渡って広がる住宅街「東山」に立地する分譲賃貸マンションです。
低層で重厚感のあるその外観は東山の街に融合してします。
都会の喧騒を離れ閑静で落ち着いた環境の為、静かに暮らせる街です。
東山小学校学区内でファミリーにお勧めのマンションです。近隣には商店街が有り買い物便利、更には目黒川も近くにあり春には桜の景色も楽しめます。



交通
東急田園都市線「池尻大橋駅」 徒歩4分
所在地 目黒区東山3丁目22−33
構造 RC
階建て 5階建
築年数 2005年2月
設備・条件
閑静な住宅街 デザイナーズ 保証人不要 2人入居可 分譲タイプ 室内洗濯機置場 フローリング
バルコニー 24時間換気システム エレベーター 照明器具付き ガスコンロ コンロ2口以上 システムキッチン バス・トイレ別 追い焚き機能 浴室乾燥機 温水洗浄便座 洗面台 エアコン 床暖房 ウォークインクローゼット CSアンテナ BSアンテナ CATV 光ファイバー オートロック モニタ付インターホン 宅配ボックス 防犯カメラ ごみ出し24時間OK グリル オートバス ディンプルキー ダブルロック

~大和ハウス工業のDシリーズマンションの特徴~
今日のマンションには、耐震性能などの安全性、耐久性や快適性といった基本性能に加え、
資産として受け継がれるだけの高い価値が求められています。大和ハウス工業では、
マンションに住まう方々の多様なライフスタイルに応えるために、「永優創美」(永く優しく創りながら美しく)の考えのもと、
上質な暮らしを求める人の“プレミスト”と、“D'シリーズ”と呼ばれる個性的な4つのマンションシリーズを提供。
さらに業界で初めてマンション資産価値サポートシステムを開発するなど、資産価値維持のためのお手伝いをしています。
商品企画からアフターサービスまで、「安心して住み継がれる住まい」を提供する事業―これが大和ハウス工業のマンション事業です。

“D'Granse ディーグランセ”
“D'Grafort ディーグラフォート”
“D'Cladear ディークラディア”
“D'Restia ディーレスティア”
ゆとりある大きな安心感をコンセプトとしたハイクオリティマンションから、
高付加価値な住空間を提供する大規模開発型マンションなど、さまざまなライフスタイルにあったマンションを提供しています。

※大和ハウス工業ホームページより出典